学校の先生のティールーム

 THP心理相談員で、中学校教師30ん年のくたびれおじさんです。学校の先生は大変な仕事です。自分も何度もへこたれてきました。  このブログでは、私の経験(いいことも、残念なことも)をお伝えしながら、今、教師の仕事で悩んでいる人・・・これから教師になろうとしている人に、ちょっとだけ、ヒントになるようなことを書いていければと思います。よろしくお願いします!

2019年01月

 こんなに、マスコミで「いじめによる自殺」が報じられていても、「いじめ」はなくならないし、「いじめが原因と思われる自殺」も毎年、起こっています。どうやって、歯止めをかけたらいいの・・・。

 そんな中で、著名人たちが自分の「いじめ」体験を、いろいろな場で公表することが目立つようになってきました。

 今日、ネット上の記事に「鈴木おさむ氏(放送作家)」の「いじめにまつわる思い出」が紹介されていました。その概要をその記事から紹介させていただきます。

 鈴木おさむ氏が、中学校の時のことだそうです。彼のクラスで一人の男子をターゲットにした「いじめ」が行われるようになり、それはどんどん、エスカレートしていったというのです。
 プロレス技をかけるなどの暴力、無視、いたずら・・・ついには、その子の前でお葬式のまねごとまでクラスの男子が始めるようになってしまいました。
 当時、学級委員を務めていた鈴木氏は、それを止めることができず、「傍観者」になっていたということでした。いじめを止めるものは誰もいなかったのです。

 そんなある日、男の先生が、クラスの男子を全員、職員室に呼び出し、このようなことを言ったそうです。
 「お前たちが、(いじめられている子に)やったことは、全部、聞いた。」
 そして、一番初めに、鈴木氏を前に呼びつけ、
 「お前は、学級委員のくせに、放っておいた。」鈴木氏は、その言葉の直後、殴られたそうです。
 次に、いじめの中心人物となっていた生徒に
 「お前は、プロレスの技で痛めつけたそうだな。」その生徒を教師はプロレス技で、叩きつけ、その他の生徒たちも、同じようにやったことをやられて、大泣きした・・・ということでした。
 そして、クラスのいじめはなくなったのだということです。

 鈴木おさむ氏は最後にこのようなことを、書き綴っています。
 「あのとき、あの先生が止めてくれなかったら、僕たちは・・・あの子を死に追いやっていたかもしれない。」
 「僕は、そして、おそらく、あの日殴られたみんなも、先生を決して恨んだりしていないと思う。」

 今だったら、この教師の行動はすぐに「体罰」として、取り上げられることでしょう。
 しかし、この時には、いじめの「抑止」につながったのは確かのようです。
 「いざとなったら、身体を張って・・・」などということは、今では許されませんし、教師という仕事を失います。その一方で、いじめは確かに存在し、毎日、怯えながら、学校に通っている子供もいるのです。
 今の時代を生きる教師は、どうやって、いじめから子供たちを救い出せばよいのでしょうか?

 
 

 少し昔のことになるのですが、運動会で
 「中学3年生の生徒と保護者が綱引きをする」という企画がありました。
 この綱引きを行う際、生徒の代表が、勝った場合のお願い事をすることが恒例となっていて、とても微笑ましい企画になっていました。

 ところが、このお願い事がある時期から「買ったら携帯(スマホ)を買ってください」の一辺倒になってしまい、企画自体が「なんだか、楽しくないなぁ・・・」という感じになって来て、綱引き自体を見送ろうか?という意見まで出るようになってきました。

 ここで私が問題にしたいのは、「子供たちの金銭感覚」です。
 今や、専業主婦のお母さんはほとんどおらず、共働きをしている家庭がほとんどです。子供が多い家になると、子育てのこともあり、お母さんはパートで働いていることが大変多いのが現状です。働く理由はそれぞれの家庭で異なっているのかもしれませんが、一番は
 「子供の教育費」ではないかと推測できます。

 つまり、お父さん方はもちろん、お母さん方は「コンビニで時給いくら」の世界で頑張っていて、その上、子供たちのために、家事をやったり、学校の行事やPTA活動にも参加してくださっているわけです。
 ただ、子供たちの様子を見ていると、
 「親の苦労が本当にわかってんのかなぁ?」と思える言動が、ときどき見られます。
 子供たちは、「他の家の子供と同じように、スマホが欲しいし、ゲームもしたいし、お小遣いも欲しい・・・。」
 親たちも「できれば、我が子には、他の子と比べて悲しい想いはして欲しくない」と思っているのでしょう。
 ただ、これだけ「貧富の差」が広がってきてしまうと、限界があります。
 この辺の問題になってくると、教師の力では、もちろん、どうしようもないのですが、常に家庭や子供たちの様子を目の前にしている仕事なので、なんとかならないかなぁ・・・と思うのです。

 最近、「学級崩壊」という言葉をあまり耳にしなくなりました。文科省の様々な統計の中でも「いじめや暴力」に関する統計結果は出てきても、「学級崩壊」に関するデータはあまり目にしませんし、マスコミでも取り上げなくなったように思います。

 それでは「学級崩壊」はなくなったのか?あるいは減少に転じたのか?ということですが、今の教育現場の状況で、「学級崩壊」がなくなる要素はないように思えます。
 なぜなら「学級崩壊」は、教師が生徒をコントロールできなくなった状態を指すわけで、現在のように、教師が生徒を叱ったり指導する手だてが難しくなった状況では、むしろ「学級崩壊」は起こりやすくなっている・・・と考えられるからです。

 ネットの記事で「TOKYO FM SCHOOL OF LOCK」という番組があり、その中である高校生の女子生徒から悩み相談が電話で寄せられた、ということでした。
 「担任の先生が優しすぎて、なめられてしまい、みんなが騒いで授業が成り立ちません。どうしたらよいですか?」
 まさに「学級崩壊」ですが、小学校や中学校ではよく聞く話ですが、高校でもこんなことになっていて、しかも、心を痛めている生徒がラジオ番組に相談の電話をかけている・・・。
 これは本当に悲しい状況だと思いました。
 義務教育とは違い、高校は勉強したいから行くべきところで、しかも、受験によってある程度レベル分けされているし、停学・退学があるわけですから、中学校よりこの手の問題は少ないのだと思っていました。先日の「都立高校の暴力問題」といい、何のために学校に行っているのでしょうか?
 ここで、問題なのは「学級崩壊」という状況が、一部の騒いでいる生徒のために「その他の学習したい生徒の権利を奪っている」という事実です。これは、第一に考えられなければなりません。
 そして、もちろん、授業を行っている先生も苦しいでしょう。
 思うに教師の辛さとは「長時間労働」よりも、このような「学級崩壊」におちいっているクラスの中でなんとかしようとあがくことの方が圧倒的に苦しいと思うのです。その辺が、周囲にはよくわかっていないと思います。
 「学級崩壊」の状況におちいったときは、担当教師はできるだけ自分で解決しようとすることが多いですが、早めに信頼できる同僚や管理職に相談した方が良いです。
 勉強したい生徒や、強いては自分の心や身体を守るためにも。

 学校の先生を増やさなければならない理由のもう一つが「発達障害の問題」です。

 この10年ほどですっかり定着したように見える「発達障害」ですが、この問題は教師にとって重大です。現在は、残念ながら、すべての教師が発達障害について、十分に理解し、対応するだけの知識や経験があるとはとても言えない状況だと思います。
 そして、この発達障害の生徒が、どういうわけか年々増加して来ています。

 30ん年前に教師になった私たちにとってみれば、
 「もともと、存在したのに、発達障害と認知されていなかった子供たちへの理解が進んできた」
 と、いうことだろうか?と悩んだ時期もありましたが、それだけでは説明がつかないことがあるように思える時もあります。
 いずれにせよ、「発達障害の子供」の多くは学力に問題がないので、普通学級に在籍することになります。しかし、一般の生徒の中で発達障害の生徒は「うまく人間関係を構築できない」ことがその障害の核になりますから、学級担任は十分に気をつけていなければ「いじめやそれに近い状態」を生むことになります。
 ただでさえ、学級の中で「いじめ」が起こらないように、気をつけなければならない担任が、発達障害の生徒の対応もしなければならない・・・。そして、言うまでもありませんが、発達障害の生徒はみんなの中で、いっしょに学習してこそ、社会に出る準備に自分が何が必要か学ぶことができるので、この機会を奪うことも絶対あってはなりません。
 結局のところ、私が何を提案したいのかというと、
 「学級担任の完全 二人制」です。主担任・副担任のTTでも良いでしょう。発達障害の生徒をフォローする教師が絶対に必要になってきます。
 そうすることで、学級の生徒も担任も安心して学校生活を送ることができると思うのですが、みなさん、どう思いますか?

 途中で、トピックスがあったため、「教員の数を増やさなければならない理由」が途切れてしまいました。改めて再会します。

 日本の学校の大きな特徴は「学習指導よりも、生活指導が重視されるべき」という考えだと思うのです。「基本的な生活習慣」とか「基本的な礼儀・礼節」とか、「生徒が社会に出てから守らなければならないこと」を学習するのが日本の学校です。そのためには「集団での学習が必要不可欠」だと思うのです。
 なぜなら、生徒が「社会」に出ていけば、「会社・企業」という集団の中で生活し、やがては「家族」という「もっとも基本的な生活集団」を作ることが想定され、望まれるからです。
 本来、「基本的な生活習慣」や「人間関係の構築」は「家族・家庭」で、その多くを学ぶはずです。しかし、核家族化が進み、共働きが当たり前で、家に帰っても生徒が一人きりになる家庭が増えている中、学校や教師の果たす役割は、「昔よりも各段に多くなっている」と思えるのです。
 にもかかわらず、教師が生徒と会話ができる時間がどれほどあるでしょう?

 私がまだ若いころ、「1日に1回は、担任しているクラスの生徒、全員と話そう」
 という目標を掲げたことがあります。たやすいように思えて、これがなかなか思うようにできませんでした。たかだか「30数人の生徒なのに・・・」。
 問題は、私の教師としての資質にあったのかもしれませんが、単純に「時間が足りなかった」とも感じさせられました。朝の会や帰りの会のわずかな時間、給食中の比較的ゆとりのある時間・・・。単純な一問一答はできても、「生徒のことをきちんとわかってやれる」時間には不十分過ぎる、と感じざるを得なかったのです。
 これでは、生徒が「今、何に悩んでいて、どんなことを考えているか」なんて理解して接することなど、できるはずがありません。
 時間が足りない・・・あるいは、教師が足りない・・・私はそんなふうに思うのです。

 「いじめ対策推進法改正案」が来週早々、国会に提出され、可決する見通しだそうです。

 この法案の趣旨なのですが、記事によると
 「いじめに関心の薄い教師が多いことから、この改正案により、教師の意識改革を行いたい」ということのようです・・・。
 要するに、「教師がいじめを放置したり、気付かなかった場合、懲戒処分の対象にするよ」として、教師にプレッシャーをかけることで、「いじめ」を減らそうということらしいのですが、そもそも、
 「いじめに関心の薄い」教師なんて、とてもいるとは思えないのですが。

 現在、「教師の長時間労働を減らそう」と動いている一方で、こんな法律が出来上がろうとしているのは、なんだかちぐはぐに思えます。

 私個人の考えでは、「物理的な長時間労働」よりも、様々な形で「教師に向けられるプレッシャー」の方が、先生方にとってはきついですし、苦しいのです。
 以前にもお話ししたように、「教師の長時間労働」は、もう、すうっと前から始まっています。それでも、ここまでやってこれたのは、かつては「教師へのプレッシャーが現在ほどきつくなかったからだ」と私は考えています。

 現在は、保護者や生徒からアンケート調査で、「教師が採点・批判の対象」となっており、加えて、教師が勤務について自己評価したものを、管理職がチェックし、評価するシステムになっています。
 ただでさえ、周囲の批判にさらされ続けている教師に、今度は「いじめの責任を」という目が向けられるようになれば、とても怖くて、教員なんかにはなれません。
 このままだと、本当に若者の教員離れが進んでいき、手の施しようがなくなるのではないでしょうか?

 今日のテレビで一斉に

 「教員の時間外労働 45時間以内に 中教審」というニュースをやっていました。
 しかし、「早く帰らされても」それだけでは解決しないことがあります。
 「仕事が終わらない!」ということですね。

 以前にもこのブログで、繰り返しお話ししてきていますが、別に教師は残りたくて学校に残っているわけではないのです。
 「仕事が終わらない!」から「残らざるを得ない」のです。

 「成績処理」「学級経営の準備」「教室経営の準備」「学級会計・その他の会計処理」「テストづくり」「テストの採点」「毎日の教材研究」「指導案の作製」「通信表の作製」「調査書の作製」などなど・・・。
 これに「部活動」関係も加わりますから、生徒が帰ったあとにやらなければならないことが山盛り状態なのは、教員ならばわかります。
 問題なのは、これらの多くが「生徒のプライバシーのかたまり」なので、学校内で片づけなければ、個人データの流出の危険性が出てきます。
 だから、先生方は「学校の仕事は持ち出さないで、学校内で片づけたいのです。」
 今回の答申は「学校での仕事時間に枠を設けた」ことになりますから、先生方が「お持ち帰り」する仕事の量を増やしただけに思えます。
 小さい子供を育てている「お父さん・お母さん先生」は、家で仕事をするのは困難です。だから、学校に残って仕事をしているのですが・・・。
 どうやら、問題の根幹をわかっていないように思えるのですが・・・。

 一部の自治体では、教師の事務的な仕事をお手伝いする人や部活動の外部コーチを雇い入れる方法をとっている・・・ということですが、それで解決できるレベルではないように思えますし、部活動を教師の手から離してしまうことで、生徒指導上のデメリットがあることは、繰り返しお話ししてきました。
 もっと単純に「教師の数を倍増」するくらいの覚悟がないと、どうにもならないと思うのですが・・・。   みなさんの意見はいかがですか?

 さて、昨日の続きになります。

 「先生の数を増やさなければならない理由」のもっとも大きな理由は

 「生徒一人一人の個性に寄り添うため」だと私は考えます。
 ここで言う「個性」とは、「性格」はもちろんですが「学力」や「障害」「家庭環境」、生徒の抱える「問題」もひっくるめて「個性」と表現させてもらいました。

 私はかつて「40人学級」を担任したことがありましたが、今振り返ると、よくできたな・・・と感じてしまいます。現在は、私の住んでいる地域は少子化のあおりを受けて、「40人学級」なんて、ありえませんが・・・。
 しかし、担任一人が「生徒個々の個性を理解し、対応する」なんていうのは、現在の保護者や生徒のニーズを考えれば、もう不可能なのです。

 昨日の「部活」に続いて、今度は「学力」を例にしてお話ししたいと思います。
 「学力」は本来、学校で身に付けるべき「もっとも大切なこと」になります。
 しかし、中学校に入学した時点で「学力の格差」が大きく広がっていることに、中学校の教員なら誰でも気がつくはずです。
 如実に表れるのが「数学」です。小学校の「算数」の「掛け算でつまづくもの」「分数でつまづくもの」・・・、生徒はどこかで学び残しをしてきています。
 「掛け算ができない生徒」と、「小学校の算数を問題なくクリアしてきた生徒」を同時に教えることは、どんなに優れた数学科の教師でも困難です・・・というか無理です。
 同様なことは、おそらく「小学校の段階から始まるので」、算数や国語など、学び残しが、のちのち大きな影響を与える可能性のある教科は、小学校の低学年から、「教師の数を増やして学び残しをなくす」努力をするべきだと思うのです。
 小学校でも、算数はTTなどを取り入れて、工夫していることは理解していますが、おそらくTTの人数をもっと増やさなければだめでしょう・・・。
                                             (つづく)

 学校の先生が現場で大変な問題を抱えているのは、なにも現在ワイドショーなどで取り上げられている特殊なものだけではありません。
 「教師の長時間労働」や「部活動問題」その他にもたくさんありますが、結局は
 「保護者や生徒からのニーズ」に応えなければならなくなった・・・という単純明快な点にあります。
 そして、その「ニーズが多様化」していることが、さらに教師に追い打ちをかけているといえます。

 例えば、「部活動問題」ですが、正直な話、かつては教師が部活動に顔を出さない・・・というケースは珍しくありませんでした。様々な会議や行事、授業の準備に追われれば、自然、放課後の部活動に行く時間は無くなります。それでも、特段、問題はなかったのです。
 しかし、生徒だけで部活動をしている際に「事故」が発生することが増え、当然、顧問の教師に監督責任が問われるようになったわけです。
 また、部活動への対応で教師の温度差があることに、生徒や保護者が反応する傾向が見られるようになった・・・ということも言えます。これには「学校内の一部の部活動に、外部コーチが入るようになり、その部活動が強くなった」ということから、他の部活動への対応を求められるようになった、というケースもあります。しかも、部活動に対して、保護者の間でも温度差があり、「もっとやって欲しい」という保護者と「土日は休ませて」という保護者が出てきて、さらに顧問は対応に苦慮することになります。

 このように、部活動を取り上げただけでも、こんなに「保護者」からのニーズが増えて、しかも方向性が異なっていたりします。これに、生徒〇〇人に教師〇〇人、というマニュアルだけで人員配置していたのでは、教師の身体はいくらあっても足りないと思うのです。   
                                               (つづく)

 「都立高の体罰問題」ですが、ネット上で見る限りは、教師を批判する声が少なくなり、その先生を助けようとする署名活動まで始まっているそうです。
 「世の中、まだまだ捨てたもんじゃないなぁ・・・」と思います。
 しかし、その一方で、「問題がここまで大きくなってしまったら、先生も生徒も、今後の人生に大きな傷を残してしまうんじゃないか?」と心配です。かえすがえすも、安易に動画を公開してしまったことが残念でなりませんし、取り返しがつきません。

 今回の問題の発端は、「ピアスが・・・」というような、いわば生徒指導上の問題のようです。
 私は中学校の教師ですが、生徒指導をする先生方にはどうしても「温度差」があるのは確かのような気がします。
 つまり、「このくらいだったら」、あの先生は厳しいのに、こっちの先生は甘い・・・とかいうことなんですよね。生徒たちは、敏感にこのようなことを肌で感じて、使い分けていて、部活の休憩時間なんかには話題にしています。
 まあ、すべての先生が「足並みをそろえて」生徒指導をするのが理想的ですが、これは結構難しいことで、私個人は、「学年の教師がチームで生徒指導する」と考えればいいと思っています。
 もっと簡単に言うと「学年の先生で家族のように指導」できればいいのかなあと。
 例えば、「おっかないお父さんが怒って」あとから「お母さんが子供を慰め、フォローする」という方法です。私なんかは、ずいぶん、生徒を怒ってばかりでしたが、女性の先生方に
 「あの先生は、あなたのことを本気で心配しているから、怒っているのよ」とだいぶフォローしていただき、助けてもらいました。
 そして、教師みんなが、生徒を集中砲火するより、この方が効果的だったりするんですよね。

 今回、映像を公開されてしまった先生は、生徒指導主事だったような印象の記事がありましたが、ならば、使命感もあり、生徒の服装については、なんとかしようとして当たり前です。
 ただ、生徒指導主事一人が孤軍奮闘していたら、その先生への風当たりが強くなるだけなので、周囲のバックアップ体制はどうなっていたのかなぁ・・・と気になるところです。

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