学校の先生のティールーム

 THP心理相談員で、中学校教師30ん年のくたびれおじさんです。学校の先生は大変な仕事です。自分も何度もへこたれてきました。  このブログでは、私の経験(いいことも、残念なことも)をお伝えしながら、今、教師の仕事で悩んでいる人・・・これから教師になろうとしている人に、ちょっとだけ、ヒントになるようなことを書いていければと思います。よろしくお願いします!

先生のメンタルヘルス

 府立中学の教師が「生徒に暴行され、鼻の骨を折ったり、手首を痛めたりしたのに、学校側は警察も救急車も呼んでくれない!」

 今日のネットニュースの一つです。一般の方々が見たら、びっくりするような内容ですが、
 「なにを今さら・・・」感いっぱいです。
 このような事例は、おそらく、日本中の中学校、あるいは最近では小学校でも、毎日起きていると断言できます。
 対教師暴力に対して、まず、校長は警察に届けません。生徒は、このようなことが一回起これば、誤った学習をしますから、次々と同様なことを繰り返します。
 そして、教師は黙って耐えるしかないのです。
 まさに「学校は、生徒にとって『治外法権』の場なのです」。

 こんなことが許されていいはずがありませんし、なんとかしなければなりません。このことは、このブログの初期に何度も訴えてきたことです。
 「学校を訴えるより、誰が悪いのか、明確にすべきではないか?」

 私はそう思うのですが、みなさんはどう思いますか?

 私が「乃木坂46」のファンになったことは、ずいぶん前にご紹介しました。最近では、いわゆる「一期生」と呼ばれる、「乃木坂46」が人気がなかったころから頑張ってきたメンバーたちが、次々に卒業を発表してしまい、とても残念に思っています。
 新しく、若いメンバーが入ってくれば、当然、二十代半ばを過ぎた一期生は、ところてん方式に卒業していかなければならないのでしょう。ビジネスの問題なのでしょうね。

 一方、最近、乃木坂とは違った意味で気になっている女子アイドルグループがいます。
 そのグループのいわゆる「センター」はこのグループ発足時、最年少メンバーでありながら、現在まで「カリスマ的センター」として、グループの人気を牽引しています。

 ところが、このセンターの子は、歌番組に出ても「笑わなくなった」のです。デビュー当初は、かわいらしい笑顔を見せていて、お笑いが好きだと自己紹介しながら、お笑いのネタを恥ずかしそうに披露する姿も見られました。なのに、今では、全然、「笑わなくなったのです」。
 私個人は、このグループのファンではないので、詳しい経緯は知らないのですが、彼女が笑わなくなったのは、ファンの間では周知の事実で、ネット上でも話題になっています。

 彼女はデビュー時「中学2年生の14歳」で、現在は高校生のはずです。
 その彼女の、テレビ画面で見る、「無表情」な様子を、誰も「SOS」とは感じないのでしょうか?
 そして、彼女は、身体的にも精神的にも健康な状態だと認識して、グループの活動を続けさせているのでしょうか?
 未成年である彼女を守るのは、誰よりもグループのスタッフだと思うのです。あれは、彼女の「SOS」ではないのですか?私の思い違いですか?だったら、良いのですが・・・。

 あっという間に2月も終わりそうですね。卒業式は目の前。
 「もう少し、この子たちといっしょにいたい」
 と思っている担任もいれば、そうでない担任もいるかもしれませんね。前者の気持ちで卒業式を迎えられれば、生徒も教師も幸せです。

 ところで、中学校を卒業するまでに、生徒に「中学校と高校」の違いを知っておいて欲しいと思うことがあります。

 それは、「給食はなくなって、弁当になるんだよ!」
 と、いうことです。
 ふざけているわけではありません。これって、生徒にとっては、結構切実な問題をはらんでいます。

 中学校では、多くの学校が「給食を班ごとに食べる」ことが、半強制されていると思います。これを窮屈に思う生徒もいるでしょうが、実は「救い」になっている生徒もいるのです。
 なぜなら、「班で食べることが半強制」であれば、「一人ぼっちで給食を食べる」という「孤独」を味わうことはないからです。
 ところが、高校では「給食がなくなると同時に、班での半強制」もなくなってしまいます。
 何人かの生徒は、昼休み、一人ぼっちで過ごさなければならないでしょう。
 これは、生徒たちにとって大変怖いことです。それをはねのけられるメンタルがあれば、問題ないのかもしれませんが、これをきっかけに「不登校」になってしまう生徒もいるかもしれません。
 孤独に負けないで、生徒には頑張ってほしいですね。

 ネットのニュース記事で「府立高校の現役の教師が、長時間労働により適応障害で損害賠償の訴え」という報道がなされました。
 動画が添えられ、実名で顔も公表していますから、「かなりの覚悟」あっての訴えで」あることは言うまでもありません。
 おそらくは、現在の教師の労働環境についての風潮が、後押しになったと想像できますが、それでも勇気ある行動だと思います。

 問題は、このニュースを世間一般の方々が見て「どのように評価するか?」ということではないでしょうか?教員やそのOBは評価しても、絶対的少数です。
 子供の保護者にあたる多くの人々がどのように、今回の訴えを捉えるか?・・・これが今後の大きな課題になってくるような気がします。

 今回のこの先生の訴えが、「勝ち負け」以上に、大きな波紋となるかどうか?
 これは時間をかけて見守るしかありませんね。

 今日の午前中のバラエティ番組で、「小中学校のスマホ持ち込み解禁」について、話題にされ話し合われたようです。
 私は、この番組を見ていなかったのですが、ネットの記事で取り上げられていたことで、だいたいのことを知ることができました。

 話し合ったメンバーは、いわゆる「タレント」の方々ですが、その大半が
 「スマホの持ち込み 賛成」だったようで、もう、がっかりです・・・。
 その理由が、「子供のスマホ保有率が7割を超えている」からということのようです。私が一番危惧している、「スマホを持つことで起こる様々なトラブル」に関しては、
 「プログラミングを学校で教えている時代なんだから、学校でスマホの使い方を教えれば?」だそうです。
 わあ~!日本国民の多くがこんな考え方なんですかね?教師の目線で考えようなんて人は誰もいやしない。
 それで、スマホの使い方は?誰が教えるの?担任?専門科の教員をつけるの?
 これじゃ、学校の先生なんて誰もなりたくないですよね。
 スティーブ・ジョブズ・・・私の尊敬する人の一人だったんですが、あなたの発明したスマホで、教師がまた追いつめられているんですけど・・・。生まれ変わって、新しい発明をして助けてくださいよ。

 「小中学校の児童生徒による『スマホ』の持ち込みを、国が認める方向」だそうです。

 あ~あ・・・。なんだかなぁ~。スマホの使い方で、すでに教師たちがどれほど頭を悩ませているか、国の政治家はお分かりになっていないんですね・・・。
 なんでも、「災害時において、家族との連絡をSNSでスムーズにとれるようにするため」なんだとか。
 しかし、家族への連絡の方法なんて、学校から保護者への、メールの一斉送信など、やりようはいくらでもあるはずで、子供が、学校内へスマホを持ち込むことの方が、問題を生む要素があり過ぎると思うんですけど。
 こんなこと、昨今のニュースを見ていれば、誰でもわかることだと思うんですけどね。
 
 「教師を挑発して、体罰を誘発し、その動画をネットに配信した事件」
 「いじめの様子を、動画で配信した事件」
 「いわゆる『バイトテロ』」
 その他にも、スマホを用いたSNS上での「いじめ」や「犯罪につながったケース」など、あげればきりがありません。
 教育関係者が、これほど頭を痛めているのに、国はどっち見て、アイディアを出しているのでしょう?

 一度、これを許可してしまえば、「やっぱり駄目です」なんて、ことは絶対に言えません。楽な方に楽しい方に流されていくのが、人間なのですから・・・。
 そもそも、SNSを使用するにあたっての、法的な整備やガイドラインも示されていない状況で、学校への持ち込み可・・・。ああ、もう、生徒指導なんてやれないなぁ。

 「大津市のいじめ裁判」について様々な考えが、ネット上でも溢れています。その中でも、「いじめがあったことを教師が知りながら・・・」とか、「事件後のアンケートの隠ぺいが・・・」など、教師や教育委員会の対応が、問題視される傾向が強いように思います。

「なんだかなぁ~」というのが、これらの記事を読んだ私の感想です。

 教師から、この20年あまりで、いろんな力を根こそぎ奪っておいて、教師の地位をおとしめるだけおとしめておいて、責める時だけ、鬼の首をとったように攻め立てる・・・。そんな印象がぬぐえません。
 そもそも、教師が「怖くなくなった」のがいじめが加速し、陰湿化した原因で、「正しいことを正しい。間違っていることは間違っている」と声をあげて指導できなくなったのが問題の本質だと思うのです。

 今や教師と生徒・保護者の関係は、サービス業の雇われ店主とお客様の関係です。
 こんなのは、日本の本来の教育の形ではないはずです。

 「覆水盆に返らず」一度崩れたものは、もとに戻すことはできません。
 でも、新しい形での教育のシステムなら、子供たちを「いじめ」から守ることができるかもしれません。
 もう、そう願うしかないんですよね。

 「発達障害のある子供とその他の子供が、問題なく過ごせる」ようにするためには、まず、教室経営の見直しを行う必要性があると思います。
 いわゆる「構造化」です。言葉だけ見ると難しいのですが、その手の本を見ると、割とすんなり「ああ、なるほど!」と思うことが多いです。

 例えば、発達障害のある子供は「文字よりも写真やイラスト」が頭に入ることが多いので、教室内の表示に「写真やイラスト」を用いるのが手っ取り早い方法です。
 「今日の日程」など、どこの教室でも提示しているものですが、数学なら「三角定規のイラスト」などをマグネットで貼れるようにしておくだけでOK。これって、普通の生徒でも、一目でわかるので、「みんなに優しい」ということになるわけです。

 それから、「発達障害」の子供の場合、おそらく「休み時間の過ごし方」を誤ると、「いじめ」に発展しかねませんから、これは要注意です。本人が望まないのに、無理やり他の子供と遊ばせようとすると、どちらにとってもストレスになるので、休み時間はどこかでゆったり過ごせる場所を確保できれば良いと思います。生徒だけにはできないので、教師がかわるがわる常駐できる教室だといいかもしれませんね。

 一番の問題は、「授業」です。「発達障害の生徒の特性によって」も異なりますが、じっとしていることが苦手だったり、数字や漢字に強い苦手意識を持っている場合があります。
 これはやっぱり、TTにして、フォローしてあげるしかないように思います。

 普通学級でも「発達障害のある子供」が増えている・・・よく聞く話です。もっとも苦慮しているのは、高等学校のようで、小中学校に比べて、タイムラグがあり、先生方が戸惑っている声を聞くことがあります。

 しかし、ここ十数年でなぜ、発達障害が著しく増えたのでしょうか?2つの考え方があります。

 1、実際に、「発達障害の子供が増加している」
 2、もともといた子供たちが「発達障害と認知されるようになっただけ」

 1だとすると、増加した理由が問題ですよね。食生活?生活習慣の変化?はっきりした答えは出ていません。
 2だとすると、私たちの子供の時代も「発達障害」の基準に当てはまる子供はいたはずです。しかし、う~ん。勉強が嫌いな子供や、問題行動のある子供はいましたが、叱られれば、きちんとできていましたからね~。これも、よく分かりませんが、明確な知的障害でないのに、計算などが苦手な子供を学習障害と見る向きはあるのでしょうか?

 ただ、問題なのは「普通学級の中で、発達障害の子供とその他の子供が一緒に過ごさなければならない」ということです。
 どっちかに寄せるとしたら、「発達障害の子供」に寄せて、教室経営をすることが、その他の子供にとっても良いことのように思われます。
 いわゆる、教室の「構造化」です。             
                                               (つづく)

 大津市の「いじめ 自死裁判」の結果が、大きく報道されています。
 いじめに関するたくさんの裁判の結果を、きちんとフォローできていないので、はっきりしたことは言えないのですが、
 「今回の裁判の結果は、いじめていた当事者に対し、賠償を請求した」という意味で「画期的」な裁判になったようです。
 この裁判の結果が、学校現場、もしくは教室の子供たちに及ぼす影響は、小さくないと思いますし、できるだけ大きな影響となって欲しいと感じています。それはもちろん、現在、教室でいじめを受けていて、毎日が地獄のように感じている子供にとっての「福音」となってくれることです。

 ただ、正直、この裁判結果がストレートに「福音」になるかどうか、心配な点も、もちろんあります。
 学校内での出来事に、保護者が敏感になり過ぎて、「いじめ」を肥大化させてしまうことも考えられます。

 いずれにせよ、加害者たちが「いじめているんじゃなくて『いじっていただけだ』『エンターテイメントだ』という発言から、推測できるように、少なからず、現在のテレビ番組の影響は受けているように思えます。この辺に何らかのメスが入らないと、いつまでたっても状況は変わらないのではないでしょうか?
 学校は楽しくあるべきですが、「学びの場」であり、「上下関係を作って、誰かを嘲り笑う場」ではないのですから。

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